2018年10月27日土曜日

あの人の言の葉 角光男

 陸軍兵長 角光男

 昭和20年3月17日
 硫黄島にて戦死
 熊本県宇土市石小路出身 33歳

 戦地から愛児への手紙


 はいけい、あけみ、けいこさん、おしょうがつはすぐですね。
 おてがみたしかにうけとりました。

 そのご、みんなおげんきでなによりとよろこんでおります。
 おとうさんも、まいにちげんきで、みくにのためにはたらいております。

 かきもたくさんなったようですね。
 そしてあかくうれたかきをおとうさんにそなえたそうですね。
 ひじょうにおいしかったですよ。

 けいこさん、けいこさんもことしは、ようちえんで、らいねんの四月はこくみんがっこうの一年生ですね。
 うれしいでしょう。

 あけみ、けいこさん!
 おじいさん、おばあさん、おかあちゃんによろしく。

 またおたよりまっております。
 さようなら

 昭和十九年十二月十七日  角 光男

2018年10月22日月曜日

あの人の言の葉 町田道教

 海軍大尉 町田道教

 神風特別攻撃隊 第五筑波隊
 昭和20年5月11日
 沖縄沖にて戦死
 長崎県平戸市生月町出身 25歳


 雨戸がしめられて明り取りに一枚あけられ、その近くで母上は良く縫物をしておられた。
 俺達は所在なさに何か食物をねだっていたものだ。
 そのうちきっと母上は何かこさえて下さったものだ。
 ああ幼き頃の思い出は実に遠いものになってしまっている。

 我等の為に苦労して来られた母上にその報いもせず、老後の楽しみも見せず、散りゆくのは残念である。
 俺と泰教の望みを達成してくれるのは弟正教である。
 素直に元気で大きくなってくれることをひたすら望む。

 それから若い盛りの綾子にも大分苦労をかけました。
 化粧もせず、着物をきず、ただ家の為に働いてくれるのを思うと全く頭が下がります。
 よい婿さんを見つけてやって下さい。
 サエ子ちゃんも素直によい子になる様お願い致します。

 私も靖国神社からそれを祈って居ります。

2018年10月17日水曜日

あの人の言の葉 塚本太郎

 海軍大尉 塚本太郎

 昭和20年1月21日
 中部太平洋方面にて戦死
 茨城県龍ケ崎市出身 22歳


 父よ、母よ、弟よ、妹よ、そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。
 本当にありがとう。
 こんな我がまま者を、よくもまあ本当にありがとう。

 僕はもっと、もっと、いつまでも皆と一緒に楽しく暮らしたいんだ。
 愉快に勉強し皆にうんとご恩返しをしなければならないんだ。

 春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ、夏は氏神様のお祭りだ。
 神楽ばやしがあふれている。
 昔はなつかしいよ。
 秋になれば、お月見だといってあの崖下に「すすき」を取りにいったね。
 あそこで、転んだのはだれだったかしら。
 雪が降り出すとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。
 昔はなつかしいよなあ。
 こうやって皆と愉快にいつまでも暮らしたい。
 喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握り合って……

 然しぼくはこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。
 日本人、日本人、自分の血の中には三千年の間、受け継がれてきた先祖の息吹が脈打ってるんだ。

 至尊の御命令である日本人の血が湧く。
 永遠に栄えあれ祖国日本。
 みなさんさようなら…… 元気で征きます。

 昭和十八年十二月十日

2018年10月10日水曜日

あの人の言の葉 安部勝雄

 陸軍歩兵曹長 安部勝雄

 歩兵第52連隊
 昭和14年4月19日
 山西省朱家垣付近にて戦死
 岩手県奥州市江刺岩谷堂出身 35歳

 
 拝啓
 子供等には変わりありませんか。
 日増しに寒さも加わりますので一人で子供等の厄介をされて居りますと、何に彼につけ手落ちがちになり、風邪を引かす様になりましょうが、お気を付けて丈夫にする様になさい。

 一月十七日には此処にも雪が降りました。
 寒さは依然として同じ位です。
 私の事は少しも心配することはありません。

 今も敵の銃声をききつつ警戒の任にあたり寝もやらず守る兵士達、実によく毎夜この様に身体が続くものだと自分ながら驚くほど元気です。

 この手紙が届く頃にはお正月でしょう。
 岩谷堂町内の出征者の内にも満足なお正月の出来ない家もあることでしょう。
 その様な人達の為には幾らでもよろしいから餅を差し上げて御慰問致しなさい。
 苦しい時は皆同じことなんだから。
 私は今後幾度の戦闘があっても元気で皆様に会うことが出来ると信じて居ります。

 皆丈夫でお暮らし下さい。
 火は充分の上にも注意する様にね。

 さようなら

2018年10月6日土曜日

あの人の言の葉 渡辺研一

 陸軍中尉 渡辺研一

 昭和20年5月27日
 沖縄県糸満市喜屋武にて戦死
 栃木県出身 29歳


 まだお便りする機会は何度かありましょう。
 しかし時機はいよいよ迫りつつあります。
 それが何時であるかはもとより予測することは出来ませんが、恐らくは、あなた達の予想外の速さでやって参りましょう。
 その時の来ない中に、言うべき事は言っておきたいと思います。
 しかし、いざペンをとってみると今更ながら申すことがないのに気がつきます。

 今の私は強くあらねばなりません。
 寂しい、悲しいというような感情を振り捨てて、与えられた使命に進まなければならぬ立場にあるのです。
 ただ一切を忘れて戦って戦って戦い抜きたいと思います。
 不惜身命 生きることは勿論、死ぬことすらも忘れて戦いたいと念じて居ります。
 南海の一孤島に朽ち果てる身とは考えずに、祖国の周囲に屍の砦を築くつもりで居ります。

 何時かはあなた達の上に光栄の平和の日が訪れて来ることと思います。
 その日になって私の身を以て尽くしたいささかの苦労を思いやって下されば私達は、それで本望です。

 愛する日本、その国に住む愛する人々、その為に我等は死んで行くのだと考えることは実に愉しいものです。
 運命があなたにとっての良き夫たることを許さなかった私としては、そう考えることによって、あなたへの幾分の義務を果たし得たような安らかささえ覚えます。

 一度戦端が開かれれば、一切の手段を尽くし最善の道を歩むつもりです。
 万一の事があった際、例え一切の状況が不明でもあなたの夫はこのような気持ちで死んで行った事だけは、そうして最後まで、あなたの幸福を祈って居た事だけは、終生、覚えていただきたいと思います。

 その後体の調子は相変わらず、すこぶる好調です。
 いつもながら御自愛を祈ります。

 御機嫌よう。

 昭和二十年二月十日

2018年10月3日水曜日

あの人の言の葉 菅谷寛一

 海軍軍属 菅谷寛一

 昭和19年9月24日
 マーシャル諸島マロエラップ島にて戦死
 東京都港区麻布台出身 45歳


 暫く御無沙汰して居るが、皆変わった事もなく達者で居られるが、今後とも丈夫で居てくれる様祈る。
 御身一人で大変であるが多嬉子の一身上は何から何まで一切取きってやってくれる様頼む。
 多忙の為どちらへも御無沙汰して居るが田舎の兄の方へも宜しく伝言してくれる様に、何程の事もなかろうが兄と相談の上何事もやれ。

 多嬉子、御前様も体を丈夫にする様心がけ、何時も明朗に、母上に従い孝養してくれ。
 母は絶対の物と知れ。
 少し不満がましき行いすべからず。
 堅く禁ず。女らしくあれ。

 次に貯金通帳の番号を知らせる。
 軍事郵便貯金通帳艦いか二五一二八号で六百三十五円ある。

 中野区鷺宮一丁目四十四番地早野幽香子様より慰問袋を頂いた。
 礼状は出してあるが、届かないだろうと思う。
 その時の人形は何時も胸に付けて居る。
 私は非常に嬉しかった。
 その事を御身から御礼の手紙を差し上げてくれ。

 この際何事も書きたいと思うが、何も書けない。
 長い間有難う、これで御免。
 さようなら、さようなら