2018年9月26日水曜日

あの人の言の葉 吹野匡

 海軍少佐 吹野匡

 神風特別攻撃隊 旭日隊

 昭和20年1月6日
 フィリピン沖にて戦死
 鳥取県米子市淀江町出身 26歳


 母上様
 十九年十二月二十一日 匡

 私は長い間本当にご厄介ばかりおかけして参りました。
 色々の不孝の上に今また母上様の面倒を見る事もなしに先立つ不孝をお許し下さい。

 昨秋、私が海軍航空の道を選んだ事は、確かに母上様の胸を痛めた事と思います。
 常識的に考えて、危険性の少ない道は他に幾らもありました。
 国への御奉公の道においては、それでも充分果たされたかも知れません。
 しかし、この日本の国は、数多くの私たちの尽きざる悲しみと嘆きを積み重ねてこそ立派に輝かしい栄えを得て来たし、また今後もこれあればこそ栄えて行く国なのです。
 私の母上はこの悲しみに立派に堪えて、日本の国を立派に栄えさせて行く強い母の一人である事を信じたればこそ、私は何の憂いもなしにこの光栄ある道を進み取ることが出来ました。
 私が、いささかなりとも国に報いる所のある益荒男の道を進み得たのも、一に母上の御蔭であると思います。

 母上が、私をしてこの光栄ある海軍航空の道において、輝かしい死を、そして、いささかの御奉公を尽くさせて下さったのだと誇りをもって言うことが出来ます。

 美しい大空の白雲を墓標として、私は満足して、今、大君と愛する日本の山河とのために死んで行きます。

2018年9月20日木曜日

あの人の言の葉 大嶺美枝

 白梅部隊員 大嶺美枝

 沖縄県立第2高等女学校4年
 昭和20年6月9日
 沖縄高嶺村にて戦死
 沖縄県那覇市小禄出身 17歳


 お母様!
 いよいよ私たち女性も、学徒看護隊として出動出来ますことを、心から喜んで居ります。
 お母様も喜んで下さい。
 お母様は女の子を手放して、御心配なさる事でございましょうけど、決して御心配はなさいますな。
 散る時には、立派な桜花となって散って行きます。
 その時は、家の子は、「偉かった」とほめて下さいね。

 お母様!
 空襲時はよく御用心下さいね。
 そして善ちゃんと弘ちゃんをよく守って下さいませ。
 決して私の御心配はなさいません様にして下さい。

 ネルはお母様のものか、善ちゃんのものを作って着せて下さい。
 波の上宮のお守りを入れて置きますから、善ちゃんの出動の際には、お母様の髪の毛と共に、弘ちゃんにお守り袋を作って貰って、善ちゃんにやって下さい。

 なるべく自分でやる心算でしたけど、到底忙しくて出来ませんから、弘ちゃんに作って貰います。

 お母様!
 今まで口答えばかりして来てすみませんでした。
 これからは、きっと立派な一人前の看護婦になって、お国の為に働きます。

 お母様!
 御身体を無理なさらぬ様に、また善ちゃん弘ちゃんを怒らずに、朗らかに暮らして下さい。

 大島兵曹、信一兄さんによろしくおっしゃって下さいませ。  かしこ

 最後に一家の御健康をお祈りいたします。

2018年9月15日土曜日

あの人の言の葉 池亀重作

 陸軍少佐 池亀重作

 昭和17年11月23日
 ソロモン群島 ガダルカナル島
 九〇三高地付近にて戦死
 新潟県糸魚川市筒石出身 40歳


 父より

 恵子よ、可愛い恵子よ。
 父は恵子が早く大きくなり、立派な人になり、御国のために働くことを祈ります。
 母の教へをより守り、誰にも負けぬ様に、お勉強しなさい。
 「努力は天才に優る」と言う事を念に収め、偉い人になって母に孝行をしなくてはなりません。
 父は東京の靖国神社でそればかり祈って居ます。

2018年9月11日火曜日

あの人の言の葉 山崎保代

 陸軍中将 山崎保代

 北海守備第二地区隊
 昭和18年5月29日
 アリューシャン列島 アッツ島にて戦死
 山梨県出身


 玉手箱帰る時まで保管されたし

 栄子へ遺す言葉

 一、部隊の長として遠く不毛に入り、骨を北海の戦野に埋め米英撃滅の礎石となる。
   真に本懐なり、況や、護国の神霊として悠久の大義に生く、快なる哉。

 一、思い遺すこと更になし、結婚以来ここに三十年良く孝貞の道を尽くし内助の功深く感謝す。
   子等には賢母、私には良妻、そして終始変わらざる愛人なりき。
   衷心より満足す。

 一、健康に留意し老後を養い、子供達は勿論、孫共の世話までせられたし。
                                
 保之 保久 和子 正子へ遺す言葉

 一、行く道は何にても宜し、立派な人になって下さい。

 一、兄弟姉妹互いに協力し、元気に愉快に活動しなさい。

 一、母に孝養を尽くすことが、父の霊に対する何よりの供養と存ぜられたし。                          

2018年9月7日金曜日

あの人の言の葉 中嶋正敏

 陸軍伍長 中嶋正敏

 昭和13年8月12日
 江西省東林街野戦病院にて戦病死
 熊本県菊池市七城町出身 30歳

 戦地から愛児への手紙


 敏彦さん、おてがみ有難う。
 父さんはほんとうにうれしくて、何回もくりかえし、くりかえし読みました。
 このたび級長になったそうですね。
 ほんとうにお目出度う。

 あなたが学校からよろこびいさんで家に帰り、級長になったことを、母さんに話した姿を戦地からそうぞうしました。
 ほめてあげます。

 父さんはほんとうにうれしくて、なみだがにじみました。
 また、読み方の百点もほめてあげます。
 字もじょうずになりましたね、そのごほうびに母さんからはんごうべんとうを買っていただきなさい。

 これからも、ますますしっかり勉強して二人の弟と仲よく暮らしなさい。
 母さんのいうことをよくきいて、公ちゃんも祐ちゃんもかわいがって下さい。

 敏彦さん、あなたは軍人の子供です。
 学校でも家でもたとえ悲しい事があっても、めそめそしてはいけません。
 男の子はどんなときでも強くなくてはなりません。
 父さんのいうことがわかりますか。
 父さんはお国のためにしっかりはたらいて居ますから、あなたもまけずに軍人の子供として強く成長してください。

 父さんは近いうちに○○の第一線に出動します。
 げんきで暮らしなさい。
 そして公彦や祐介も父さんのぶんまでかわいがって下さい。
 たのみますよ。
 敏彦よ、強く、たくましく成長あれ。 

2018年9月2日日曜日

あの人の言の葉 安達卓也

 海軍大尉 安達卓也

 神風特別攻撃隊 第一正気隊
 昭和20年4月28日
 沖縄沖にて戦死
 兵庫県豊岡市竹野町出身 23歳


 遙かな旅の疲れの見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。
 私の為に苦労をかけた老いが、父母の顔にありありと額の皺にみられるような気がした。
 何も思う事が言えない。
 ただ表面をすべっているにすぎないような皮相的な言葉が二言、三言口を出ただけであり、剰え思う事とは全然反対の言葉すら口に出ようとした。
 ただ時間の歩みのみが気になり、見つめる事、眼で伝わり合う事、眼は口に出し得ない事を言ってくれた。

 母は私の手を取って、凍傷をさすって下さった。
 私は入団以来初めてこの世界に安らかに憩い、生まれたままの心になってそのあたたかさを懐かしんだ。
 私はこの美しい父母の心温い愛あるがゆえに君の為に殉ずることが出来る。
 死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。
 僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だった。
 涙と共に飲み込んだ心のこもった寿司の一片は、母の愛を口移しに伝えてくれた。

 「母上、私の為に作って下さったこの愛の結晶をたとえ充分頂かなくても、それ以上の心の糧を得ることが出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしっかりと刻みつけられています。これで私は父母と共に戦うことが出来ます。死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます」
 私は心からそう叫び続けた。

 戦の場、それはその美しい感情の試練の場だ。
 死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するがゆえに私は死を恐れる必要はない。
 ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。

 一六〇〇、面会時間は切れた。
 再び団門をくぐって出て行かれる父母の姿に、私は凝然として挙手の礼を送った。