2018年7月28日土曜日

あの人の言の葉 植村真久

 海軍大尉 植村真久

 神風特別攻撃隊 大和隊
 昭和19年10月26日
 フィリピン沖にて戦死
 東京都出身 25歳

 愛児に宛てた手紙


 素子、素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。
 私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
 素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。

 私の写真帳もお前の為に家に残してあります。
 素子という名前は私がつけたのです。
 素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。

 私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、もしお前が私を見知らぬまま死んでしまっても決して悲しんではなりません。

 お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。
 そして心に深く念じれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
 父はお前が幸福ものと思います。
 生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会っている様な気がするとよくおっしゃっていた。
 またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんもまた、御自分の全生涯をかけて唯々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
 必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。
 父は常に素子の身辺を護って居ります。
 優しくて人に可愛がられる人になって下さい。

 お前が大きくなって私の事を考え始めた時に、この便りを読んで貰いなさい。

 昭和十九年○月吉日

 植村素子へ
 追伸、素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
 だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。
 素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。

2018年7月25日水曜日

あの人の言の葉 安原正文

 陸軍大尉 安原正文

 第8飛行師団 特別攻撃隊
 昭和20年3月29日
 沖縄奥武島付近の海面にて戦死
 高知県出身 25歳


 沢山貰った御手紙は、みなポケットに入れて持って行きます。
 御守袋(御人形の寝ている)も忘れずに連れて行きます。
 コリントももう出来なくなりましたが、これからは兄ちゃんは、御星様の仲間に入って、千鶴ちゃんが、立派な人になるのを見守っています。
 泣いたりなどしないで、朗らかに笑って、兄ちゃんが手柄を立てるのを祈って下さい。
 御父さんや御母さんの言い付けを守って、立派な人になって下さい。

 三月二十五日  さようなら   正文


 千鶴子ちゃんへ

 御人形よ
 風鈴よ
 鶴よ

 はるばる遠くの島まで来て呉れて、毎日みんなを慰めて呉れたね、ありがとう、御礼を言います。
 誰も居なくなったら花蓮港の御母さんの処へ帰って、何時迄も可愛がって貰いなさい。

 さようなら

2018年7月20日金曜日

あの人の言の葉 渋谷健一

 陸軍少佐 渋谷健一

 神風特別攻撃隊 振武隊隊長
 昭和20年6月21日
 沖縄沖にて戦死
 山形県酒田市片町出身 31歳


 父は選ばれて攻撃隊長となり、隊員十一名、年歯僅か二十歳に足らぬ若桜と共に決戦の先駆となる。
 死せずとも戦に勝つ術あらんと考うるは常人の浅はかなる思慮にして、必ず死すと定まりて、それにて全軍敵に総当たりを行い、尚且つ、現戦局の勝敗は神のみぞ知り給う。
 真に国難と言うべきなり。
 父は死にても死するにあらず、悠久の大義に生きるなり。

 一、寂しがりやの子に成るべからず母あるにあらずや、父もまた幼少にして父母を病に亡くしたれど決して明るさを失わずに成長したり。
 まして戦に出て壮烈に死すと聞かば日の本の子は喜ぶべきものなり。
 父恋しと思わば、空を見よ、大空の浮かぶ白雲に乗りて父は常に微笑んで迎う。

 二、素直に育て、戦勝っても国難は去るにあらず、世界に平和が訪れて万民泰平の幸をうけるまで懸命の勉強をすることが大切なり。
 二人仲良く母と共に父の祖先を祀りて明るく暮らすは父に対して最大の孝養なり。
 父は飛行将校として栄えの任務を心から喜び、神明に真の春を招来する神風たらんとす。
 皇恩の有り難さを常に感謝し世は変わるとも忠孝の心は片時も忘るべからず。

 三、御身等の母はまことに良き母、父の在世中は飛行将校の妻は数多くあれども、母ほど日本婦人としての覚悟ある者少なし。
 父は常に感謝しありたり。
 戦時多忙の身にして真に母を幸福にあらしめる機会少なく、父の心残りの一つなり。
 御身等成長せし時には父の分まで母に孝養つくさるべし。
 

 この父の頼みなり現時敵機爆撃のため大都市等にて家は焼かれ、父母を失いし少年少女数限りなし。
 これを思えば父は心痛極まりなし。
 御身等は母、祖父母に抱かれて真に幸福に育ちたるを忘るべからず。

 書き置く事は多けれど、大きくなったる時に良く母に聞き母の苦労を知り決して我が侭せぬよう望む。

2018年7月17日火曜日

あの人の言の葉 白井定之

 海軍軍属 白井定之

 昭和19年2月6日
 マーシャル諸島クエゼリンにて戦死
 東京都大田区中央出身 35歳


 恒宏君、勝年君、元気ですか、楽しい夏休みが来ましたね。
 お休みだからって朝ねぼうしてはいけませんよ。
 朝は早く起きて夜は早くねましょうね。
 お父さんはとても元気で、朝は僕達がねているうちに起きて一生けんめいお仕事をしています。

 お母さんの言うことをきかなかったり、つやちゃんとけんかしたりしてはだめですよ。
 僕達の良いことも悪いこともみんなお母ちゃんから知れますよ。
 良くやっているとお父さんが帰るときにとても僕達がびっくりするおみやげをたくさんもって行きます。
 家が新しいのですからおへやなどよごさず自分の勉強室は二人で良くおそうじすることですよ。

 お母さんにお願いして下田のおじいさんの所へつれていってもらいなさい。
 そして海へ入って、まっくろになるのです。
 じょうぶになります。
 お父さんはまっくろです。
 だからとても元気です。
 じょうぶでなくては、大きくなってりっぱな兵隊さんになれませんよ。
 恒宏君はじき中学へ行くのですからよくその勉強をして今からよういしておくのですよ。

 戦争はこれからもっともっと長くつづきます。
 二人が大人になるまでつづきますよ。

 毎日あついからキャンデーや生水などはあまりのまないこと、夜はねびえをしないようにしなさい。
 では又このつぎに手紙を出します。
 僕達もてがみを下さい。
 まっています。


 さようなら

2018年7月13日金曜日

あの人の言の葉 有馬亮三郎

 陸軍薬剤中尉 有馬亮三郎

 昭和20年7月10日
 ミンダナオ島にて戦死
 長崎県長崎市高島町出身 38歳


 お父さんは只今、遠い暑いところで戦争しています。
 お母さんや順子に、通信してよいと許可が出た時は、嬉しくて四、五日寝れませんでした。

 ここは暑くて、何も無いところです。
 唯、椰子の木とおいしいバナナだけが生い茂る本渡町くらいの部落です。
 日本人は五、六人いました。
 

 島人は洋風化したおしゃれで、美しいが中々気の良くない連中で、兵隊さんも用心しています。
 みんな暑くて働かないから食物は肉も野菜も魚もありません。
 ですから、お父さんたちは今から野菜も作り、魚もとり、家も住みよく改良し、道路も作って準備するわけです。

 病気が多いけれどお父さんも気をつけて元気に奉公しますから、順子もお母さんの言う事をよく聞いて、親子仲良く健康に明るく生活して下さい。
 そうするとお父さんはどんな時でも元気が出ます。

 お父さんは戦地でも、毎朝毎晩お母さんや順子が元気で幸福な様にと神仏にお祈りしています。

 ここは慰安も、ラジオも無い淋しい所ですから、沢山お手紙を出してくれる様にみんなに伝えて下さい。

2018年7月11日水曜日

あの人の言の葉 加藤出雲

 陸軍中尉 加藤出雲

 昭和15年10月17日
 安徽省獅子嶺にて戦死
 京都府京都市伏見区新町出身 29歳

 
 一方は畑で他方は傾斜していて泥が深い。
 道は悪い。
 その畑を通っているのだが、きれいな花が一輪泥の上に美しい顔を見せていた。

 尖兵の将校がその花をよけて横の泥深い所を迂回して歩いていた。
 花の上を踏んで歩く方が泥も少なく近道でもあるのだが、花をふみくだくに忍びなかったのだ。

 次を歩いている男もそれにならって花をよけて通った。
 次々に兵隊はわざわざ泥の道を遠回りして歩いた。
 部隊が通り過ぎた後にはきれいな花が泥の上に浮かんでほのぼのとした美しさを見せていた。
 そんな時にさえも、たった一輪の花もふまずに通って行った兵隊の心情が嬉しいのだ。

2018年7月7日土曜日

あの人の言の葉 多田美好

 海軍二等機関兵曹 多田美好

 昭和21年6月28日
 シンガポール・チャンギーにて法務死
 岐阜県出身 33歳


 母上

 長い間色々御厄介になりました。
 此の度の件、お国の為に一生懸命働いたのですが、敗戦と云う大変動で戦犯人として刑を受ける事になりました。
 然しお母さんの教えを守り、家の名を辱める事は決して致しませんでした事を嬉しく思って居ります。

 大らかな気持ちで喜んで国難に殉じて参ります。
 唯、生前何等の御孝養を尽くすことなく、そればかり心残りです。

 どうかお母さん、何時までもお元気で幸福にお過ごし下さいます様お祈りして居ります。

 判決のあります前夜、お母さんにおぶって頂いて川を渡った夢を見ました。
 私は随分仕合せでした。
 何もかも唯なつかしく、凡て夢の様です。

 親思う 心にまさる 親心 今日のおとづれ 如何にきくらん

 お母さん、私は死んでは居りません。
 何時も何時もお傍に居ります。

2018年7月4日水曜日

あの人の言の葉 古市敏雄

 海軍大尉 古市敏雄

 宇佐海軍航空隊
 昭和20年4月6日
 南西諸島沖にて戦死
 香川県高松市出身 23歳


 昭和十九年六月二十五日

 当直室から突然電話がかかって来ました。
 母が来ているとのことでした。
 午後上陸が許されるとすぐ倶楽部に急ぎました。
 が途次、母が路傍で待っていてくれました。
 以心伝心と言いましょうか。
 それともそれとなく感じたのかも知れません。
 軍人になっても、母が恋しいのであります。
 学生時代はそうでもなかったのですが、海軍に入って、特に予備学生になってから痛切に感じます。
 意志が弱いからでしょうか。
 また人の子としての情なのでありましょうか。

 倶楽部に落ち着いて、母と四方山話をしました。
 でも話をするというより、ただ元気な姿を見ていただければ、それで満足なのであります。
 話ぐらいならば、手紙でも用が足せますものね。
 自分には母がある。
 有り難いことだと思いました。
 遠路はるばる逢いに来てくれる母が……。

2018年7月1日日曜日

あの人の言の葉 茂木三郎

 海軍少尉 茂木三郎

 神風特別攻撃隊 第五神剣隊
 昭和20年5月4日
 沖縄沖で戦死
 予科練乙飛第十八期生
 福島県出身 19歳


 僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。

 お母さん、良く顔を見せて下さい。

 しかし、僕は何も「カタミ」を残したくないんです。

 十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。

 お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。

 それが僕の別れのあいさつです。