2018年10月10日水曜日

あの人の言の葉 安部勝雄

 陸軍歩兵曹長 安部勝雄

 歩兵第52連隊
 昭和14年4月19日
 山西省朱家垣付近にて戦死
 岩手県奥州市江刺岩谷堂出身 35歳

 
 拝啓
 子供等には変わりありませんか。
 日増しに寒さも加わりますので一人で子供等の厄介をされて居りますと、何に彼につけ手落ちがちになり、風邪を引かす様になりましょうが、お気を付けて丈夫にする様になさい。

 一月十七日には此処にも雪が降りました。
 寒さは依然として同じ位です。
 私の事は少しも心配することはありません。

 今も敵の銃声をききつつ警戒の任にあたり寝もやらず守る兵士達、実によく毎夜この様に身体が続くものだと自分ながら驚くほど元気です。

 この手紙が届く頃にはお正月でしょう。
 岩谷堂町内の出征者の内にも満足なお正月の出来ない家もあることでしょう。
 その様な人達の為には幾らでもよろしいから餅を差し上げて御慰問致しなさい。
 苦しい時は皆同じことなんだから。
 私は今後幾度の戦闘があっても元気で皆様に会うことが出来ると信じて居ります。

 皆丈夫でお暮らし下さい。
 火は充分の上にも注意する様にね。

 さようなら

2018年10月6日土曜日

あの人の言の葉 渡辺研一

 陸軍中尉 渡辺研一

 昭和20年5月27日
 沖縄県糸満市喜屋武にて戦死
 栃木県出身 29歳


 まだお便りする機会は何度かありましょう。
 しかし時機はいよいよ迫りつつあります。
 それが何時であるかはもとより予測することは出来ませんが、恐らくは、あなた達の予想外の速さでやって参りましょう。
 その時の来ない中に、言うべき事は言っておきたいと思います。
 しかし、いざペンをとってみると今更ながら申すことがないのに気がつきます。

 今の私は強くあらねばなりません。
 寂しい、悲しいというような感情を振り捨てて、与えられた使命に進まなければならぬ立場にあるのです。
 ただ一切を忘れて戦って戦って戦い抜きたいと思います。
 不惜身命 生きることは勿論、死ぬことすらも忘れて戦いたいと念じて居ります。
 南海の一孤島に朽ち果てる身とは考えずに、祖国の周囲に屍の砦を築くつもりで居ります。

 何時かはあなた達の上に光栄の平和の日が訪れて来ることと思います。
 その日になって私の身を以て尽くしたいささかの苦労を思いやって下されば私達は、それで本望です。

 愛する日本、その国に住む愛する人々、その為に我等は死んで行くのだと考えることは実に愉しいものです。
 運命があなたにとっての良き夫たることを許さなかった私としては、そう考えることによって、あなたへの幾分の義務を果たし得たような安らかささえ覚えます。

 一度戦端が開かれれば、一切の手段を尽くし最善の道を歩むつもりです。
 万一の事があった際、例え一切の状況が不明でもあなたの夫はこのような気持ちで死んで行った事だけは、そうして最後まで、あなたの幸福を祈って居た事だけは、終生、覚えていただきたいと思います。

 その後体の調子は相変わらず、すこぶる好調です。
 いつもながら御自愛を祈ります。

 御機嫌よう。

 昭和二十年二月十日

2018年10月3日水曜日

あの人の言の葉 菅谷寛一

 海軍軍属 菅谷寛一

 昭和19年9月24日
 マーシャル諸島マロエラップ島にて戦死
 東京都港区麻布台出身 45歳


 暫く御無沙汰して居るが、皆変わった事もなく達者で居られるが、今後とも丈夫で居てくれる様祈る。
 御身一人で大変であるが多嬉子の一身上は何から何まで一切取きってやってくれる様頼む。
 多忙の為どちらへも御無沙汰して居るが田舎の兄の方へも宜しく伝言してくれる様に、何程の事もなかろうが兄と相談の上何事もやれ。

 多嬉子、御前様も体を丈夫にする様心がけ、何時も明朗に、母上に従い孝養してくれ。
 母は絶対の物と知れ。
 少し不満がましき行いすべからず。
 堅く禁ず。女らしくあれ。

 次に貯金通帳の番号を知らせる。
 軍事郵便貯金通帳艦いか二五一二八号で六百三十五円ある。

 中野区鷺宮一丁目四十四番地早野幽香子様より慰問袋を頂いた。
 礼状は出してあるが、届かないだろうと思う。
 その時の人形は何時も胸に付けて居る。
 私は非常に嬉しかった。
 その事を御身から御礼の手紙を差し上げてくれ。

 この際何事も書きたいと思うが、何も書けない。
 長い間有難う、これで御免。
 さようなら、さようなら

2018年9月26日水曜日

あの人の言の葉 吹野匡

 海軍少佐 吹野匡

 神風特別攻撃隊 旭日隊

 昭和20年1月6日
 フィリピン沖にて戦死
 鳥取県米子市淀江町出身 26歳


 母上様
 十九年十二月二十一日 匡

 私は長い間本当にご厄介ばかりおかけして参りました。
 色々の不孝の上に今また母上様の面倒を見る事もなしに先立つ不孝をお許し下さい。

 昨秋、私が海軍航空の道を選んだ事は、確かに母上様の胸を痛めた事と思います。
 常識的に考えて、危険性の少ない道は他に幾らもありました。
 国への御奉公の道においては、それでも充分果たされたかも知れません。
 しかし、この日本の国は、数多くの私たちの尽きざる悲しみと嘆きを積み重ねてこそ立派に輝かしい栄えを得て来たし、また今後もこれあればこそ栄えて行く国なのです。
 私の母上はこの悲しみに立派に堪えて、日本の国を立派に栄えさせて行く強い母の一人である事を信じたればこそ、私は何の憂いもなしにこの光栄ある道を進み取ることが出来ました。
 私が、いささかなりとも国に報いる所のある益荒男の道を進み得たのも、一に母上の御蔭であると思います。

 母上が、私をしてこの光栄ある海軍航空の道において、輝かしい死を、そして、いささかの御奉公を尽くさせて下さったのだと誇りをもって言うことが出来ます。

 美しい大空の白雲を墓標として、私は満足して、今、大君と愛する日本の山河とのために死んで行きます。

2018年9月20日木曜日

あの人の言の葉 大嶺美枝

 白梅部隊員 大嶺美枝

 沖縄県立第2高等女学校4年
 昭和20年6月9日
 沖縄高嶺村にて戦死
 沖縄県那覇市小禄出身 17歳


 お母様!
 いよいよ私たち女性も、学徒看護隊として出動出来ますことを、心から喜んで居ります。
 お母様も喜んで下さい。
 お母様は女の子を手放して、御心配なさる事でございましょうけど、決して御心配はなさいますな。
 散る時には、立派な桜花となって散って行きます。
 その時は、家の子は、「偉かった」とほめて下さいね。

 お母様!
 空襲時はよく御用心下さいね。
 そして善ちゃんと弘ちゃんをよく守って下さいませ。
 決して私の御心配はなさいません様にして下さい。

 ネルはお母様のものか、善ちゃんのものを作って着せて下さい。
 波の上宮のお守りを入れて置きますから、善ちゃんの出動の際には、お母様の髪の毛と共に、弘ちゃんにお守り袋を作って貰って、善ちゃんにやって下さい。

 なるべく自分でやる心算でしたけど、到底忙しくて出来ませんから、弘ちゃんに作って貰います。

 お母様!
 今まで口答えばかりして来てすみませんでした。
 これからは、きっと立派な一人前の看護婦になって、お国の為に働きます。

 お母様!
 御身体を無理なさらぬ様に、また善ちゃん弘ちゃんを怒らずに、朗らかに暮らして下さい。

 大島兵曹、信一兄さんによろしくおっしゃって下さいませ。  かしこ

 最後に一家の御健康をお祈りいたします。

2018年9月15日土曜日

あの人の言の葉 池亀重作

 陸軍少佐 池亀重作

 昭和17年11月23日
 ソロモン群島 ガダルカナル島
 九〇三高地付近にて戦死
 新潟県糸魚川市筒石出身 40歳


 父より

 恵子よ、可愛い恵子よ。
 父は恵子が早く大きくなり、立派な人になり、御国のために働くことを祈ります。
 母の教へをより守り、誰にも負けぬ様に、お勉強しなさい。
 「努力は天才に優る」と言う事を念に収め、偉い人になって母に孝行をしなくてはなりません。
 父は東京の靖国神社でそればかり祈って居ます。

2018年9月11日火曜日

あの人の言の葉 山崎保代

 陸軍中将 山崎保代

 北海守備第二地区隊
 昭和18年5月29日
 アリューシャン列島 アッツ島にて戦死
 山梨県出身


 玉手箱帰る時まで保管されたし

 栄子へ遺す言葉

 一、部隊の長として遠く不毛に入り、骨を北海の戦野に埋め米英撃滅の礎石となる。
   真に本懐なり、況や、護国の神霊として悠久の大義に生く、快なる哉。

 一、思い遺すこと更になし、結婚以来ここに三十年良く孝貞の道を尽くし内助の功深く感謝す。
   子等には賢母、私には良妻、そして終始変わらざる愛人なりき。
   衷心より満足す。

 一、健康に留意し老後を養い、子供達は勿論、孫共の世話までせられたし。
                                
 保之 保久 和子 正子へ遺す言葉

 一、行く道は何にても宜し、立派な人になって下さい。

 一、兄弟姉妹互いに協力し、元気に愉快に活動しなさい。

 一、母に孝養を尽くすことが、父の霊に対する何よりの供養と存ぜられたし。                          

2018年9月7日金曜日

あの人の言の葉 中嶋正敏

 陸軍伍長 中嶋正敏

 昭和13年8月12日
 江西省東林街野戦病院にて戦病死
 熊本県菊池市七城町出身 30歳

 戦地から愛児への手紙


 敏彦さん、おてがみ有難う。
 父さんはほんとうにうれしくて、何回もくりかえし、くりかえし読みました。
 このたび級長になったそうですね。
 ほんとうにお目出度う。

 あなたが学校からよろこびいさんで家に帰り、級長になったことを、母さんに話した姿を戦地からそうぞうしました。
 ほめてあげます。

 父さんはほんとうにうれしくて、なみだがにじみました。
 また、読み方の百点もほめてあげます。
 字もじょうずになりましたね、そのごほうびに母さんからはんごうべんとうを買っていただきなさい。

 これからも、ますますしっかり勉強して二人の弟と仲よく暮らしなさい。
 母さんのいうことをよくきいて、公ちゃんも祐ちゃんもかわいがって下さい。

 敏彦さん、あなたは軍人の子供です。
 学校でも家でもたとえ悲しい事があっても、めそめそしてはいけません。
 男の子はどんなときでも強くなくてはなりません。
 父さんのいうことがわかりますか。
 父さんはお国のためにしっかりはたらいて居ますから、あなたもまけずに軍人の子供として強く成長してください。

 父さんは近いうちに○○の第一線に出動します。
 げんきで暮らしなさい。
 そして公彦や祐介も父さんのぶんまでかわいがって下さい。
 たのみますよ。
 敏彦よ、強く、たくましく成長あれ。 

2018年9月2日日曜日

あの人の言の葉 安達卓也

 海軍大尉 安達卓也

 神風特別攻撃隊 第一正気隊
 昭和20年4月28日
 沖縄沖にて戦死
 兵庫県豊岡市竹野町出身 23歳


 遙かな旅の疲れの見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。
 私の為に苦労をかけた老いが、父母の顔にありありと額の皺にみられるような気がした。
 何も思う事が言えない。
 ただ表面をすべっているにすぎないような皮相的な言葉が二言、三言口を出ただけであり、剰え思う事とは全然反対の言葉すら口に出ようとした。
 ただ時間の歩みのみが気になり、見つめる事、眼で伝わり合う事、眼は口に出し得ない事を言ってくれた。

 母は私の手を取って、凍傷をさすって下さった。
 私は入団以来初めてこの世界に安らかに憩い、生まれたままの心になってそのあたたかさを懐かしんだ。
 私はこの美しい父母の心温い愛あるがゆえに君の為に殉ずることが出来る。
 死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。
 僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だった。
 涙と共に飲み込んだ心のこもった寿司の一片は、母の愛を口移しに伝えてくれた。

 「母上、私の為に作って下さったこの愛の結晶をたとえ充分頂かなくても、それ以上の心の糧を得ることが出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしっかりと刻みつけられています。これで私は父母と共に戦うことが出来ます。死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます」
 私は心からそう叫び続けた。

 戦の場、それはその美しい感情の試練の場だ。
 死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するがゆえに私は死を恐れる必要はない。
 ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。

 一六〇〇、面会時間は切れた。
 再び団門をくぐって出て行かれる父母の姿に、私は凝然として挙手の礼を送った。

2018年8月28日火曜日

あの人の言の葉 須賀芳宗

 海軍大尉 須賀芳宗

 神風特別攻撃隊 第一正気隊
 昭和20年4月28日
 沖縄沖にて戦死
 東京都台東区出身 26歳


 昨日、今日と隊の桜も満開です。
 この桜ほど美しい桜を私は未だ見た事がありません。
 きっとこれも見る者の心のせいでしょう。

 皆さんの去った隊内にこの綺麗な桜に囲まれていささか感傷に溺れました。
 それは決して淋しい物悲しいホームシックではないことは断言できます。
 恵まれた両親にかこまれて温かい家庭に幸福に溢れて育った小生が学生時代から愛し続けて来た飛行機で勇躍征途にのぼる、実に恵まれた生涯であったと痛感したのです。
 豊かに真直ぐに育ったと云う事は今となって最大の強味です。
 実にその点両親に感謝しています。
 坊ちゃん育ちは弱味も多くありましょうが、根本に於いてどんな状態に置かれても必ず物を素直に受け入れて好意に解釈します。

 今、日本を守る最後の切り札として出陣するに当たって、日本人として御両親様の倅として誰よりも誇りと喜びとを以て出撃出来る事は私の最高の勝利であると微笑んでいます。

 桜が散ったら又お便りします。

2018年8月24日金曜日

あの人の言の葉 石田正夫

 海軍軍属 石田正夫

 昭和19年8月8日
 グアム島にて戦死
 兵庫県加東市吉井出身 37歳


 昨夜子供の夢を見ていた。
 父として匠に何をして来たか。
 このまま内地の土を踏まぬ日が来ても、何もかも宿命だとあきらめて良いだろうか。
 愚かな父にも悲しい宿命があり、お前にも悲しい運命があったのだ。

 強く生きて欲しい。
 そして、私の正反対な性格の人間になってくれる様に切に祈る。 合掌

 三月○日
 内地の様子が知りたい。聞きたい。
 毎日、情勢の急迫を申し渡されるばかり。
 自分たちは既に死を覚悟して来ている。
 万策尽きれば、潔く死のう。

 本月の○日頃が、また危険との事である。
 もし玉砕してその事によって祖国の人たちが少しでも生を楽しむことが出来れば、母国の国威が少しでも強く輝く事が出来ればと切に祈るのみ。
 

 遠い祖国の若き男よ、強く逞しく朗らかであれ。
 懐かしい遠い母国の若き女たちよ、清く美しく健康であれ。

2018年8月19日日曜日

あの人の言の葉 棚橋順一

 陸軍大尉 棚橋順一

 昭和14年5月7日
 中国華中にて戦死
 東京都出身

 愛児に宛てた手紙


 今は昭和十二年十月十七日の午後六時半です。
 僕の乗っている運送船は東支那海を上海に向けて走っているところです。
 台風の余波で船が揺れて苦しいけれども今書いて置かないと明日は上陸準備で忙しいので揺れる机の上で書いています。

 十九日の朝、上海に上陸して、すぐに戦線に行くはずです。
 そこは生死の境であって、基の生長を見届けることが出来ないかも知れない。
 そこで大きくなったら、父は基に何を期待していたかを知って貰いたいと思うのです。

 基は将来自分の適した方面に進んでくれればよいのですが、決して力だけの人になってはいけません。
 力だけで人生を送るのは不幸の因、滅亡の元です。
 必ず徳というものを中心として進んで下さい。
 所謂偉い人にならなくてもよい。
 世の中には名も知れぬ人で徳の高い人があるものです。
 人生には荒波があって築いたものを次から次に崩して行く、ここに確信の道というものがなければやって行けない。

 大きくなったら宗教的方面の研究修業をするとよいと思う。
 その時必要なのはよい師匠である。
 よい指導者である。
 よい友である。
 私は世にも珍しい良師につくことが出来た。
 どうぞ基が大きくなったら、これを心懸けて下さい。

 それから僕のために総てを捧げてくれた基のお母さん、お親父さん、お祖母さんをどうか大切にして下さい。
 みんな苦労をした人々だ、僕に代わって大切にして下さい。
 基のことを会社の人々、塾の人々、中学時代の友人によく頼んで置いたから困ったときは相談に行くがよろしい。

 ではこれでやめます。
 さようなら。
 どうぞすくすくと丈夫に育って下さい。

 父より(基宛)

2018年8月14日火曜日

あの人の言の葉 齋藤幸雄

 海軍少尉 齋藤幸雄

 神風特別攻撃隊 第六神剣隊
 昭和20年5月11日
 沖縄沖で戦死
 宮城県出身 20歳


 何も思い残すことはありません。

 ただ、万歳あるのみです。

 お母さん、きっと桜咲く靖国神社に来て下さいね。

 いつまでも、元気でいて下さい。

2018年8月10日金曜日

あの人の言の葉 大田博英

 海軍大尉 大田博英

 神風特別攻撃隊 第一筑波隊
 昭和20年4月6日
 南西諸島沖にて戦死
 鳥取県東伯郡北栄町出身 23歳


 御父上様
 多年の深海重山の御恩に報うべき秋が参りました

 博英は今から征きます 倶に御喜び下さい
 此の期に及んで何も申し上げる事も有りません
 只 皇国永世の安泰を願うのみです
 必ずや期待に添います
 御祖母様にも宜敷く御伝え下さいませ

 もうすぐ春です 裏の山桜も咲きましょう
 菜種の田が眼に浮かびます
 小川の想い出 懐かしい想い出は尽きません

 敵は眼前に迫りました 最後の勝利を確信します
 来るべき大捷の日をまぶたに 笑って静かに去ります

 では お元気で

2018年8月7日火曜日

あの人の言の葉 柴田勝見

 陸軍兵長 柴田勝見

 昭和17年8月8日
 中国中部にて戦死
 東京都出身 31歳

 愛児への手紙


 えみこちゃん、まいにちげんきにがっこうへいっていますか、まだおべんとうはもっていきませんか、がっこうはとてもおもしろいでしょう。

 それからおうちではおかあさんのいうことをよくきいてしかられたりしないでしょうね。

 かつやのおもりもよくしますか、こんどおとうさんはとおい「しな」のおくにへきていますから、このまえのときのようにときとぎおうちにかえることはできませんから、よくおかあさんやおばあちゃんのいうことをきいておりこうにし、おうちでおてつだいをしてください。

 がっこうのおべんきょうも、よくするのですよ。

 おとうさんも、そのうちおみやげをもっておうちへかえりますからたのしみにまっていてください。

 じゃ、さようなら

2018年8月4日土曜日

あの人の言の葉 野沢吉一郎

 陸軍軍曹 野沢吉一郎

 昭和19年10月26日
 バシー海峡にて戦死
 新潟県新潟市南区白根出身 39歳


 長い間まことに御苦労であった。
 つらくばかりお前に当たってほんとうにすまなかったが、私は幸せであった。
 身体のやせる程苦労させたが、皆前世の約束であったとあきらめてくれ。
 先に行ってお前の席をとって待つ。
 子供の事をくれぐれもたのむ。
 又父母の事もくれぐれもたのむ。
 お前が無事に幸福な日を送る事を見守って居る。

 悲しむな。嘆くな。
 人の世は皆こんなものだ。
 子供の事くれぐれもたのむ。
 達者に居れよ。病気せぬ様にせいよ。
 苦しかったが又楽しかったな。
 過ぎた日の楽しかった事を思い起こして日を暮らせ。

 子供は一日毎に大きくなる。
 思い出したなら仏様にお参りをせい。
 私の身体は死んでも、魂は生きてお前のそばに居る。

 つましくして細々と生活を立て、子供の生長を楽しみに待てよ。

 さようなら。

2018年7月28日土曜日

あの人の言の葉 植村真久

 海軍大尉 植村真久

 神風特別攻撃隊 大和隊
 昭和19年10月26日
 フィリピン沖にて戦死
 東京都出身 25歳

 愛児に宛てた手紙


 素子、素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。
 私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
 素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。

 私の写真帳もお前の為に家に残してあります。
 素子という名前は私がつけたのです。
 素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。

 私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、もしお前が私を見知らぬまま死んでしまっても決して悲しんではなりません。

 お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。
 そして心に深く念じれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
 父はお前が幸福ものと思います。
 生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会っている様な気がするとよくおっしゃっていた。
 またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんもまた、御自分の全生涯をかけて唯々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
 必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。
 父は常に素子の身辺を護って居ります。
 優しくて人に可愛がられる人になって下さい。

 お前が大きくなって私の事を考え始めた時に、この便りを読んで貰いなさい。

 昭和十九年○月吉日

 植村素子へ
 追伸、素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
 だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。
 素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。

2018年7月25日水曜日

あの人の言の葉 安原正文

 陸軍大尉 安原正文

 第8飛行師団 特別攻撃隊
 昭和20年3月29日
 沖縄奥武島付近の海面にて戦死
 高知県出身 25歳


 沢山貰った御手紙は、みなポケットに入れて持って行きます。
 御守袋(御人形の寝ている)も忘れずに連れて行きます。
 コリントももう出来なくなりましたが、これからは兄ちゃんは、御星様の仲間に入って、千鶴ちゃんが、立派な人になるのを見守っています。
 泣いたりなどしないで、朗らかに笑って、兄ちゃんが手柄を立てるのを祈って下さい。
 御父さんや御母さんの言い付けを守って、立派な人になって下さい。

 三月二十五日  さようなら   正文


 千鶴子ちゃんへ

 御人形よ
 風鈴よ
 鶴よ

 はるばる遠くの島まで来て呉れて、毎日みんなを慰めて呉れたね、ありがとう、御礼を言います。
 誰も居なくなったら花蓮港の御母さんの処へ帰って、何時迄も可愛がって貰いなさい。

 さようなら

2018年7月20日金曜日

あの人の言の葉 渋谷健一

 陸軍少佐 渋谷健一

 神風特別攻撃隊 振武隊隊長
 昭和20年6月21日
 沖縄沖にて戦死
 山形県酒田市片町出身 31歳


 父は選ばれて攻撃隊長となり、隊員十一名、年歯僅か二十歳に足らぬ若桜と共に決戦の先駆となる。
 死せずとも戦に勝つ術あらんと考うるは常人の浅はかなる思慮にして、必ず死すと定まりて、それにて全軍敵に総当たりを行い、尚且つ、現戦局の勝敗は神のみぞ知り給う。
 真に国難と言うべきなり。
 父は死にても死するにあらず、悠久の大義に生きるなり。

 一、寂しがりやの子に成るべからず母あるにあらずや、父もまた幼少にして父母を病に亡くしたれど決して明るさを失わずに成長したり。
 まして戦に出て壮烈に死すと聞かば日の本の子は喜ぶべきものなり。
 父恋しと思わば、空を見よ、大空の浮かぶ白雲に乗りて父は常に微笑んで迎う。

 二、素直に育て、戦勝っても国難は去るにあらず、世界に平和が訪れて万民泰平の幸をうけるまで懸命の勉強をすることが大切なり。
 二人仲良く母と共に父の祖先を祀りて明るく暮らすは父に対して最大の孝養なり。
 父は飛行将校として栄えの任務を心から喜び、神明に真の春を招来する神風たらんとす。
 皇恩の有り難さを常に感謝し世は変わるとも忠孝の心は片時も忘るべからず。

 三、御身等の母はまことに良き母、父の在世中は飛行将校の妻は数多くあれども、母ほど日本婦人としての覚悟ある者少なし。
 父は常に感謝しありたり。
 戦時多忙の身にして真に母を幸福にあらしめる機会少なく、父の心残りの一つなり。
 御身等成長せし時には父の分まで母に孝養つくさるべし。
 

 この父の頼みなり現時敵機爆撃のため大都市等にて家は焼かれ、父母を失いし少年少女数限りなし。
 これを思えば父は心痛極まりなし。
 御身等は母、祖父母に抱かれて真に幸福に育ちたるを忘るべからず。

 書き置く事は多けれど、大きくなったる時に良く母に聞き母の苦労を知り決して我が侭せぬよう望む。

2018年7月17日火曜日

あの人の言の葉 白井定之

 海軍軍属 白井定之

 昭和19年2月6日
 マーシャル諸島クエゼリンにて戦死
 東京都大田区中央出身 35歳


 恒宏君、勝年君、元気ですか、楽しい夏休みが来ましたね。
 お休みだからって朝ねぼうしてはいけませんよ。
 朝は早く起きて夜は早くねましょうね。
 お父さんはとても元気で、朝は僕達がねているうちに起きて一生けんめいお仕事をしています。

 お母さんの言うことをきかなかったり、つやちゃんとけんかしたりしてはだめですよ。
 僕達の良いことも悪いこともみんなお母ちゃんから知れますよ。
 良くやっているとお父さんが帰るときにとても僕達がびっくりするおみやげをたくさんもって行きます。
 家が新しいのですからおへやなどよごさず自分の勉強室は二人で良くおそうじすることですよ。

 お母さんにお願いして下田のおじいさんの所へつれていってもらいなさい。
 そして海へ入って、まっくろになるのです。
 じょうぶになります。
 お父さんはまっくろです。
 だからとても元気です。
 じょうぶでなくては、大きくなってりっぱな兵隊さんになれませんよ。
 恒宏君はじき中学へ行くのですからよくその勉強をして今からよういしておくのですよ。

 戦争はこれからもっともっと長くつづきます。
 二人が大人になるまでつづきますよ。

 毎日あついからキャンデーや生水などはあまりのまないこと、夜はねびえをしないようにしなさい。
 では又このつぎに手紙を出します。
 僕達もてがみを下さい。
 まっています。


 さようなら

2018年7月13日金曜日

あの人の言の葉 有馬亮三郎

 陸軍薬剤中尉 有馬亮三郎

 昭和20年7月10日
 ミンダナオ島にて戦死
 長崎県長崎市高島町出身 38歳


 お父さんは只今、遠い暑いところで戦争しています。
 お母さんや順子に、通信してよいと許可が出た時は、嬉しくて四、五日寝れませんでした。

 ここは暑くて、何も無いところです。
 唯、椰子の木とおいしいバナナだけが生い茂る本渡町くらいの部落です。
 日本人は五、六人いました。
 

 島人は洋風化したおしゃれで、美しいが中々気の良くない連中で、兵隊さんも用心しています。
 みんな暑くて働かないから食物は肉も野菜も魚もありません。
 ですから、お父さんたちは今から野菜も作り、魚もとり、家も住みよく改良し、道路も作って準備するわけです。

 病気が多いけれどお父さんも気をつけて元気に奉公しますから、順子もお母さんの言う事をよく聞いて、親子仲良く健康に明るく生活して下さい。
 そうするとお父さんはどんな時でも元気が出ます。

 お父さんは戦地でも、毎朝毎晩お母さんや順子が元気で幸福な様にと神仏にお祈りしています。

 ここは慰安も、ラジオも無い淋しい所ですから、沢山お手紙を出してくれる様にみんなに伝えて下さい。

2018年7月11日水曜日

あの人の言の葉 加藤出雲

 陸軍中尉 加藤出雲

 昭和15年10月17日
 安徽省獅子嶺にて戦死
 京都府京都市伏見区新町出身 29歳

 
 一方は畑で他方は傾斜していて泥が深い。
 道は悪い。
 その畑を通っているのだが、きれいな花が一輪泥の上に美しい顔を見せていた。

 尖兵の将校がその花をよけて横の泥深い所を迂回して歩いていた。
 花の上を踏んで歩く方が泥も少なく近道でもあるのだが、花をふみくだくに忍びなかったのだ。

 次を歩いている男もそれにならって花をよけて通った。
 次々に兵隊はわざわざ泥の道を遠回りして歩いた。
 部隊が通り過ぎた後にはきれいな花が泥の上に浮かんでほのぼのとした美しさを見せていた。
 そんな時にさえも、たった一輪の花もふまずに通って行った兵隊の心情が嬉しいのだ。

2018年7月7日土曜日

あの人の言の葉 多田美好

 海軍二等機関兵曹 多田美好

 昭和21年6月28日
 シンガポール・チャンギーにて法務死
 岐阜県出身 33歳


 母上

 長い間色々御厄介になりました。
 此の度の件、お国の為に一生懸命働いたのですが、敗戦と云う大変動で戦犯人として刑を受ける事になりました。
 然しお母さんの教えを守り、家の名を辱める事は決して致しませんでした事を嬉しく思って居ります。

 大らかな気持ちで喜んで国難に殉じて参ります。
 唯、生前何等の御孝養を尽くすことなく、そればかり心残りです。

 どうかお母さん、何時までもお元気で幸福にお過ごし下さいます様お祈りして居ります。

 判決のあります前夜、お母さんにおぶって頂いて川を渡った夢を見ました。
 私は随分仕合せでした。
 何もかも唯なつかしく、凡て夢の様です。

 親思う 心にまさる 親心 今日のおとづれ 如何にきくらん

 お母さん、私は死んでは居りません。
 何時も何時もお傍に居ります。

2018年7月4日水曜日

あの人の言の葉 古市敏雄

 海軍大尉 古市敏雄

 宇佐海軍航空隊
 昭和20年4月6日
 南西諸島沖にて戦死
 香川県高松市出身 23歳


 昭和十九年六月二十五日

 当直室から突然電話がかかって来ました。
 母が来ているとのことでした。
 午後上陸が許されるとすぐ倶楽部に急ぎました。
 が途次、母が路傍で待っていてくれました。
 以心伝心と言いましょうか。
 それともそれとなく感じたのかも知れません。
 軍人になっても、母が恋しいのであります。
 学生時代はそうでもなかったのですが、海軍に入って、特に予備学生になってから痛切に感じます。
 意志が弱いからでしょうか。
 また人の子としての情なのでありましょうか。

 倶楽部に落ち着いて、母と四方山話をしました。
 でも話をするというより、ただ元気な姿を見ていただければ、それで満足なのであります。
 話ぐらいならば、手紙でも用が足せますものね。
 自分には母がある。
 有り難いことだと思いました。
 遠路はるばる逢いに来てくれる母が……。

2018年7月1日日曜日

あの人の言の葉 茂木三郎

 海軍少尉 茂木三郎

 神風特別攻撃隊 第五神剣隊
 昭和20年5月4日
 沖縄沖で戦死
 予科練乙飛第十八期生
 福島県出身 19歳


 僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。

 お母さん、良く顔を見せて下さい。

 しかし、僕は何も「カタミ」を残したくないんです。

 十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。

 お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。

 それが僕の別れのあいさつです。