2018年12月16日日曜日

あの人の言の葉 浅野寛

 陸軍主計中尉 浅野寛

 昭和19年12月15日
 ビアク島モクメルにて戦死
 三重県いなべ市員弁町出身 31歳


 五月三十日 日暮れ

 命令
 「支隊は 全力を以て 本夜夜襲を為す」

 雨は褌まで濡れ、靴の中に足を浮す
 燃料は無し
 採暖する何物もなし、夜襲を前にして、一杯の温湯を欲す。
 語る友を求む。

 幡軍医大尉と静かに語る。
 静かなり、静かなり。
 何物も不用なり

 残るは日誌と淑子に宛てたる葉書のみ
 水筒の水を日誌を焚きてわかす
 一葉毎に目を通し、過去を振り返り、思いも新たに、然して直ちに煙にする。
 僅かに温まりし水にて唯一つのミルクを味わう。

 葉書焼かんとす、幡大尉制して曰く
 「必ず出す時あらん 残すべし」と

 幡大尉と語る
 「過去において何が一番楽しかりしや」と問う
 「妻と共に在りし日なり」と
 我も同意同感なり。

2018年12月8日土曜日

あの人の言の葉 長井泉

 海軍飛行兵曹長 長井泉

 昭和16年12月8日
 真珠湾にて戦死
 熊本県下益城郡美里町出身 20歳

 
 ハワイ作戦の首途に当たり、一筆書き遺します。
 われ国家の為に死す。
 男子と生まれ、皇国に生を受け、しかも軍人として屍を戦場に晒すことは軍人の本望である。
 願わくば、われなき後は弟、洋を以て立派なる帝国軍人となし、国家の守りに立たせ給わんことを。


 この度の戦、一挙にして終わるべきにあらずして、東洋平和確立までには、幾星霜かかるやも計り知れず、この覚悟決してお忘れあるまじく、この世に生を受けてから二十年余り、慈愛の胸に抱かれ、何一つとして不自由な思いをしたこととてない我が侭ばかりを申して今日まで心配をかけてまいり、一度の親孝行のまねごとさえ出来ず、老後の面倒さえも見ることも能わずして、先立つことは何よりも心残りに存じています。

 然れども国家存亡の秋にあたり、私情を云々すること能わず、皇国君恩の万一に報ぜん時、かねて父上よりの教訓、国家の為に死することこそ最大の親孝行なりということを銘記し、必ずやこれという勲功は立てずとも、決して他人に遅れはとらぬよう最後の御奉公を致す覚悟です。


 されば何卒先立つ罪はお許し下されたく、御両親におかれても、既に私亡き時の覚悟は充分あられることとは信じて居りますけれど決してお嘆きあるまじく、もし報入りなば、先ず倅よくやったと、お褒め下されたく、特に母上には身体も病弱故、お嘆きの余り寿命を縮められるような事があればなお一層のこと、我重ねて親不孝ともなります。

 身はたとへ 太平洋に 水漬くとも 留め置かまし 大和魂

 今更に 驚くべきも あらぬなり かねて待ちこし この度の旅

2018年12月5日水曜日

あの人の言の葉 松村雪子

 陸軍軍属 松村雪子

 第百四師団司令部副官部所属
 昭和19年1月23日
 中国広東省番禺県秀木橋にて戦死
 愛知県名古屋市中区新栄出身 23歳


 昭和十九年の決戦態勢に入りまして、こちらも何だかきびしい空気がただよっています。
 国民がいよいよ一丸となる秋が参りましたね。

 先日の臨休の時、野戦病院と陸軍病院を慰問しました。
 内地とちがって野戦病院は看護婦さんも無く、殺風景な男の人ばかりの灰色の感じが致します。

 私達の差し上げるお花をとても嬉しそうに動けない身体を無理にずらせて瞳の中に嬉しさを一杯あらわしていらっしゃる姿には、涙がこぼれます。
 

 戦地といっても広東は平和そのもので内地より物資も豊富ですので私達も南支へ来てもさほど胸をつくものがありませんが、こうして病院へ行ったりしますと前線の匂いが多分にみなぎっています。

 私達もその内に前線へ慰問に参る予定ですが何れも芸無し猿ですから困って居りましたら、兵隊さんは顔を見るだけで満足だと伺います。

2018年11月29日木曜日

あの人の言の葉 福田誠一

 陸軍歩兵伍長 福田誠一

 昭和14年3月10日
 支那江蘇省山後村付近にて戦死
 広島県呉市倉橋町出身 25歳


 弟 進へ

 進よ、兄は戦争に行く二度と会う事は出来ぬ、進よ、兄が戦死と聞いたなら内の責任は君の双肩にあり。
 父母によく仕え立派な人間になって呉れ。
 兄の墓を建てて呉れ、兄の最後の願いだ。
 君は生活に苦しむと言う事は無いと思うが立派に暮らして呉れ。
 何事も打ち勝つと言う事だ。
 父母を頼む。
 これから社会へ立つのだ。
 一歩一歩進み行けよ。

 妹 富美子へ

 富美子よ、君は勝気なるが故に兄は心配をする、女の道は只実直に進むのだ。
 君の今の病気に負けてはならぬ、恋愛に落ちるので無い、今君の責任は大である。
 君故にお父さんは心痛して居る、何事も父に打ち明けて相談せよ。
 わからぬ父では無い。
 早く病気を治して良い家に嫁いで呉れ。
 君の顔を一目見たいが会わずに兄は征く、君の花嫁姿は何処かの地下で手を叩いて嬉んで見て居る。

2018年11月22日木曜日

あの人の言の葉 高須孝四郎

 海軍少尉 高須孝四郎

 神風特別攻撃隊 第七御楯隊
 昭和20年8月9日
 本邦東南方洋上にて戦死
 愛知県西尾市一色町出身 23歳


 攻撃直前記す

 御姉上様。合掌。最後に当たり何も言うことはありません。
 僕が常夏の国南米ブラジルより日本に帰って、何も知らない僕を、良く教え導いて下さった事は、心から感謝して居ります。

 身を海軍に投じて以来の未知の生活、日本の兵隊生活は最後の魂の道場でした。
 海軍に入営してより、日夜の訓練によって身心共に磨き清めて来ました。
 今君国の為に散って行く私です。

 日本に帰る時に母様より呉々も言われた事、頼まれた事を果たさずに散って行くのは心が残ります。

 最後に年老いたる両親に迷惑をかけた事を深く悔やんでおります。
 今私は澄んだ気持ちです。
 白紙の心持ちです。

 御両親、肉親の写真を胸に抱いて…… 皆々様もお元気に。

 では、私は只今より攻撃に行きます。