2018年10月10日水曜日

あの人の言の葉 安部勝雄

 陸軍歩兵曹長 安部勝雄

 歩兵第52連隊
 昭和14年4月19日
 山西省朱家垣付近にて戦死
 岩手県奥州市江刺岩谷堂出身 35歳

 
 拝啓
 子供等には変わりありませんか。
 日増しに寒さも加わりますので一人で子供等の厄介をされて居りますと、何に彼につけ手落ちがちになり、風邪を引かす様になりましょうが、お気を付けて丈夫にする様になさい。

 一月十七日には此処にも雪が降りました。
 寒さは依然として同じ位です。
 私の事は少しも心配することはありません。

 今も敵の銃声をききつつ警戒の任にあたり寝もやらず守る兵士達、実によく毎夜この様に身体が続くものだと自分ながら驚くほど元気です。

 この手紙が届く頃にはお正月でしょう。
 岩谷堂町内の出征者の内にも満足なお正月の出来ない家もあることでしょう。
 その様な人達の為には幾らでもよろしいから餅を差し上げて御慰問致しなさい。
 苦しい時は皆同じことなんだから。
 私は今後幾度の戦闘があっても元気で皆様に会うことが出来ると信じて居ります。

 皆丈夫でお暮らし下さい。
 火は充分の上にも注意する様にね。

 さようなら

2018年10月6日土曜日

あの人の言の葉 渡辺研一

 陸軍中尉 渡辺研一

 昭和20年5月27日
 沖縄県糸満市喜屋武にて戦死
 栃木県出身 29歳


 まだお便りする機会は何度かありましょう。
 しかし時機はいよいよ迫りつつあります。
 それが何時であるかはもとより予測することは出来ませんが、恐らくは、あなた達の予想外の速さでやって参りましょう。
 その時の来ない中に、言うべき事は言っておきたいと思います。
 しかし、いざペンをとってみると今更ながら申すことがないのに気がつきます。

 今の私は強くあらねばなりません。
 寂しい、悲しいというような感情を振り捨てて、与えられた使命に進まなければならぬ立場にあるのです。
 ただ一切を忘れて戦って戦って戦い抜きたいと思います。
 不惜身命 生きることは勿論、死ぬことすらも忘れて戦いたいと念じて居ります。
 南海の一孤島に朽ち果てる身とは考えずに、祖国の周囲に屍の砦を築くつもりで居ります。

 何時かはあなた達の上に光栄の平和の日が訪れて来ることと思います。
 その日になって私の身を以て尽くしたいささかの苦労を思いやって下されば私達は、それで本望です。

 愛する日本、その国に住む愛する人々、その為に我等は死んで行くのだと考えることは実に愉しいものです。
 運命があなたにとっての良き夫たることを許さなかった私としては、そう考えることによって、あなたへの幾分の義務を果たし得たような安らかささえ覚えます。

 一度戦端が開かれれば、一切の手段を尽くし最善の道を歩むつもりです。
 万一の事があった際、例え一切の状況が不明でもあなたの夫はこのような気持ちで死んで行った事だけは、そうして最後まで、あなたの幸福を祈って居た事だけは、終生、覚えていただきたいと思います。

 その後体の調子は相変わらず、すこぶる好調です。
 いつもながら御自愛を祈ります。

 御機嫌よう。

 昭和二十年二月十日

2018年10月3日水曜日

あの人の言の葉 菅谷寛一

 海軍軍属 菅谷寛一

 昭和19年9月24日
 マーシャル諸島マロエラップ島にて戦死
 東京都港区麻布台出身 45歳


 暫く御無沙汰して居るが、皆変わった事もなく達者で居られるが、今後とも丈夫で居てくれる様祈る。
 御身一人で大変であるが多嬉子の一身上は何から何まで一切取きってやってくれる様頼む。
 多忙の為どちらへも御無沙汰して居るが田舎の兄の方へも宜しく伝言してくれる様に、何程の事もなかろうが兄と相談の上何事もやれ。

 多嬉子、御前様も体を丈夫にする様心がけ、何時も明朗に、母上に従い孝養してくれ。
 母は絶対の物と知れ。
 少し不満がましき行いすべからず。
 堅く禁ず。女らしくあれ。

 次に貯金通帳の番号を知らせる。
 軍事郵便貯金通帳艦いか二五一二八号で六百三十五円ある。

 中野区鷺宮一丁目四十四番地早野幽香子様より慰問袋を頂いた。
 礼状は出してあるが、届かないだろうと思う。
 その時の人形は何時も胸に付けて居る。
 私は非常に嬉しかった。
 その事を御身から御礼の手紙を差し上げてくれ。

 この際何事も書きたいと思うが、何も書けない。
 長い間有難う、これで御免。
 さようなら、さようなら

2018年9月26日水曜日

あの人の言の葉 吹野匡

 海軍少佐 吹野匡

 神風特別攻撃隊 旭日隊

 昭和20年1月6日
 フィリピン沖にて戦死
 鳥取県米子市淀江町出身 26歳


 母上様
 十九年十二月二十一日 匡

 私は長い間本当にご厄介ばかりおかけして参りました。
 色々の不孝の上に今また母上様の面倒を見る事もなしに先立つ不孝をお許し下さい。

 昨秋、私が海軍航空の道を選んだ事は、確かに母上様の胸を痛めた事と思います。
 常識的に考えて、危険性の少ない道は他に幾らもありました。
 国への御奉公の道においては、それでも充分果たされたかも知れません。
 しかし、この日本の国は、数多くの私たちの尽きざる悲しみと嘆きを積み重ねてこそ立派に輝かしい栄えを得て来たし、また今後もこれあればこそ栄えて行く国なのです。
 私の母上はこの悲しみに立派に堪えて、日本の国を立派に栄えさせて行く強い母の一人である事を信じたればこそ、私は何の憂いもなしにこの光栄ある道を進み取ることが出来ました。
 私が、いささかなりとも国に報いる所のある益荒男の道を進み得たのも、一に母上の御蔭であると思います。

 母上が、私をしてこの光栄ある海軍航空の道において、輝かしい死を、そして、いささかの御奉公を尽くさせて下さったのだと誇りをもって言うことが出来ます。

 美しい大空の白雲を墓標として、私は満足して、今、大君と愛する日本の山河とのために死んで行きます。

2018年9月20日木曜日

あの人の言の葉 大嶺美枝

 白梅部隊員 大嶺美枝

 沖縄県立第2高等女学校4年
 昭和20年6月9日
 沖縄高嶺村にて戦死
 沖縄県那覇市小禄出身 17歳


 お母様!
 いよいよ私たち女性も、学徒看護隊として出動出来ますことを、心から喜んで居ります。
 お母様も喜んで下さい。
 お母様は女の子を手放して、御心配なさる事でございましょうけど、決して御心配はなさいますな。
 散る時には、立派な桜花となって散って行きます。
 その時は、家の子は、「偉かった」とほめて下さいね。

 お母様!
 空襲時はよく御用心下さいね。
 そして善ちゃんと弘ちゃんをよく守って下さいませ。
 決して私の御心配はなさいません様にして下さい。

 ネルはお母様のものか、善ちゃんのものを作って着せて下さい。
 波の上宮のお守りを入れて置きますから、善ちゃんの出動の際には、お母様の髪の毛と共に、弘ちゃんにお守り袋を作って貰って、善ちゃんにやって下さい。

 なるべく自分でやる心算でしたけど、到底忙しくて出来ませんから、弘ちゃんに作って貰います。

 お母様!
 今まで口答えばかりして来てすみませんでした。
 これからは、きっと立派な一人前の看護婦になって、お国の為に働きます。

 お母様!
 御身体を無理なさらぬ様に、また善ちゃん弘ちゃんを怒らずに、朗らかに暮らして下さい。

 大島兵曹、信一兄さんによろしくおっしゃって下さいませ。  かしこ

 最後に一家の御健康をお祈りいたします。