2019年2月14日木曜日

あの人の言の葉 佐藤源治

 陸軍曹長 佐藤源治

 昭和23年9月22日
 ジャワ島ツビナンにて法務死
 岩手県出身 32歳


 僕は唱歌が下手でした

 僕は唱歌が下手でした
 通信簿の乙一つ
 いまいましさに 人知れず
 お稽古すると 母さんが
 優しく教えてくれました

 きょうだいみんな 下手でした
 僕も 弟も 妹も
 唱歌の時間は 泣きながら
 歌へば皆も 先生も
 笑って「止め」と言いました

 故郷を出てから十二年
 冷たい風の 獄の窓
 虫の音聞いて 月を見て
 母さん恋しと 歌ったら
 皆が 泣いて 聞きました

 僕のこの歌 聞いたなら
 頬すり寄せて 抱き寄せて
 「上手になった良い子だ」と
 ほめて下さる ことでしょう

2019年2月8日金曜日

あの人の言の葉 水知創一

 海軍大尉 水知創一

 回天特別攻撃隊 轟隊
 昭和20年7月16日
 本邦東南沖にて戦死
 兵庫県出身 21歳


 慎二様

 急に休暇が許され、又余りにも短かったので呼ぶ事が出来ず悪い事をしました。

 慎二は私のたった一人の弟です。
 早く立派な人になって父上、母上を喜ばしてあげて下さい。
 兄の様な親に心配を掛けてばかりいる様な男になってはなりません。

 今に兄達が必ず敵をやっつけますから後は、慎二達が一生懸命勉強して日本をますます良い国にして下さい。

 では元気でしっかりやって下さい。

 創一

2019年2月5日火曜日

あの人の言の葉 細田春中

 海軍大尉 細田春中

 海軍第10通信隊 ペナン島第4分遣隊長
 昭和20年8月23日
 ペナン島にて責任自決
 山梨県北杜市大泉町出身 28歳


 正義の戦と確信し最終の勝利を確信した私の信念も、終に破れました。

 思えば昭和十八年六月十二日、再度南方勤務の命をうけ昭南に飛来して着任した当時は、此の信念にいささかも変わりなかったのですが、第十方面艦隊通信部隊長という学徒出身将校としては異例の抜擢を受け、ペナン市の指令部に着任して敵国の無電を接受する様になってから、八ヶ月を経るに従い戦局に不安を感ずる様になりました。


 しかし斯くも無残な、斯くも悲痛な敗戦の幕を閉じようとは信じられない現実です。
 が、吾等は最善を尽くしました。
 今更、戦争の指導者も、戦争財閥も恨みますまい。
 要は科学兵器に対し精神力兵器が破れたのです。
 井の中の蛙大海を知らずを、如実に物語って居ります。

 元より私は一点の濁りもない崇高な気持ちで昇天の精神を以て、従容死に着くのでありますから、一掬の涙で満足致します。

 ではお父さん、お母さん、永々の御薫陶を万謝致しますと共に天寿を全うせられ、幼き弟妹を立派に御訓育下さいますよう、切に切に御願い致します。

 ではこれでお別れと致します。

2019年1月30日水曜日

あの人の言の葉 酒井隆

 陸軍中将 酒井隆

 昭和21年9月13日
 南京にて法務死
 東京都港区南青山出身 59歳


 ラジオでおききでしょうが、戦犯として今日決定します。
 これによって中、日がまことの道を歩くこととなり、日本を侵略と言わないですむ道になれば、私の本願です。

 好きな中国で死んで、私は喜んで逝きます。

 子供達の教育の金もないかと案じます。
 インフレの中に何もかも妻に一任して私はこんな所で死ぬ、まことに申し訳ありません。

 遺骨があればその一部を分骨して原村の父母の山林か墓前のところに土饅頭でもこしらえてお埋め下さい。
 墓石なんかいらぬ。

 あと二、三日の死を待つのも仕方ない。
 いやなものだ。
 静かに故人の幾人かが遭遇した天命をたどるのだ。
 所見も感想もなるべく考えない。書くまい。
 手近の人々を考えるよりか、本を読み、歴史を読み、おもむろに人生を去る。
 その時まで勉強するのだ。
 洗濯をし、着物も整理する。

 もう二度と行けないと思うと残り惜しいが、死ねば心はすぐ日本へかえる。
 いつでも刑にかけてと祈る。
 何時までも牢屋に生きるよりか、放たれた日本の空に、我は祖国の礎となる。

 大好きな日本。
 私は空飛ぶ姿でかえる。

2019年1月25日金曜日

あの人の言の葉 錦織美代子

 従軍看護婦 錦織美代子

 呂武第1641部隊
 昭和20年6月16日
 武昌陸軍病院にて戦病死
 島根県松江市東出雲町出雲郷出身 19歳


 お父様、お母様たちはもう老い先短いですから、あまり無理をされないで楽しい余生をおくってください。
 春子さんには随分心配かけました。
 一番私の心残りになるのは姉さんのことです。
 でもこれからはきっと良いことも続くでしょうから、立派に元気を出して暮らして下さい。

 浩ちゃんも、どうか立派な人になって下さい。
 一生懸命勉強するんですよ、健ちゃんも。
 邦夫は今頃どうしているやら、生きて帰っても逢えないかもわからない。

 いつかはきっと靖国神社で兄様といっしょに逢うかも知れません。

 どうか元気で戦って下さい。

 お父様、お母様、姉さま、邦夫、健ちゃん、浩ちゃん、みんなさようなら。